東京高等裁判所 昭和56年(う)1963号 決定 1982年5月21日
本籍
千葉県市川市市川三丁目三八番地
住居
同県同市市川三丁目三四番一一号
会社役員
島倉正治
大正二年八月二七日生
右の者に対する法人税法違反、所得税法違反被告事件について、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件公訴を棄却する。
理由
本件公訴事実は、昭和五六年一月二一日付の被告人に対する別紙起訴状写しに記載されたとおりであるが、検察官提出の被告人に関する市川市長作成の戸籍謄本によると、被告人は昭和五七年五月一一日死亡したことが明らかである。
そこで、刑事訴訟法四〇四条、三三九条一項四号により本件公訴を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 杉山英巳)
○ 昭和五六年(う)第一九六三号
控訴趣意書
被告人 島倉正治
右の者に対する法人税法違反所得税法違反被告事件の控訴趣意は、次のとおりである。
昭和五七年一月八日
弁護人 勝尾鐐三
弁護人 加藤義樹
東京高等裁判所第一刑事部
御中
目次
一 被告人の経歴
―被告人は、戦中・戦前・戦後を通じて趣味をもつことなく遊びも知らず「働くこと」一途の“大正生れ”であることについて―
(一) 戦前、戦中の労苦について
(二) 戦後の困窮、混乱を乗り越えて昭和四七年島倉商事株式会社設立迄の辛苦について
(三) 二三店舗、従業員数約四〇〇名の事業規模に迄発展する経緯について
(四) 被告人なりに社会的奉仕をしてきたことについて
二 前科について
三 犯行の動機
四 犯行の態様
五 犯行後の情状
(一) ほ脱税額の完納と役員の辞任
(二) 罰金の納付について
(三) 経理事務の改善
六 租税犯に対する科刑について
(一) 立法の沿革
(二) わが国の現行租税体系と国民の税意識
(三) 脱税と現代の社会経済構造
(四) 最近の査察実績、査察事件の判決動向等
(五) 最近の実刑判決はいずれもほ脱率、ほ脱額、手段方法、その他犯情において「申告納税制度の根本を破壊するような高度の反社会性」が認められるものであることについて
七 本件の量刑についてお願い
(一) 量刑の過程は単純ではなく経験の積み重ねによる高度に質的な判断であって、従前の租税犯に対する量刑において、懲役刑の殆んどに執行猶予が付されていることを目して「名目化している」「当然視されている」との批判は裁判の実情、本質を誤解せしめるおそれがあることについて
(二) 租税犯に対し東京地裁が昭和五五年度に言渡した実刑判決の具体的犯情について
1 昭和五五・三・一〇宣告、昭和五三年特(わ)九二〇号等個室付浴場経営者に対する法人税法違反被告事件
2 昭和五五・三・二六宣告、昭和五四年特(わ)二九九八号個室付浴場経営者に対する法人税法違反被告事件
3 昭和五五・五・二八宣告、昭和五五年特(わ)五六二号、時計、喫煙具の販売業者に対する法人税法違反被告事件
4 昭和五五・一〇・三〇宣告、昭和五五年特(わ)一八九号、土木建設用資材等の販売業者に対する所得税法違反被告事件
5 昭和五五・一二・四宣告、昭和五五年特(わ)一九一三号貴石製品等の小売業者に対する物品税法違反被告事件
(三) 量刑の「均衡」と「公正」について
(四) 本件の犯情について
八 むすび
被告人の反省、悔悟の情況、被告人の身心の現状、被告人の生育環境、社会状勢をご考慮のうえ懲役刑に対し執行猶予を付されたきことについて
添付資料
一 疎明資料
1 東京国税局 納付書、領収書(昭五六・一〇・三三)
2 金銭消費貸借契約書(昭五六・一〇・一五)
3の1 島倉商事株式会社登記簿謄本(昭五六・一〇・二九)
3の2 取締役会議事録(昭五六・六・二五)
4の1 第9回定時株主総会議事録(昭五六・六・二五)
4の2 臨時株主総会議事録(昭五六・一〇・一)
5 罰金納付書、領収証書(昭五六・一二・八)
6の1 豊島区南池袋一丁目所在宅地登記簿謄本(昭五六・一〇・二〇)
6の2 市川市市川三丁目所在宅地登記簿謄本(昭五六・一〇・一九)
6の3 市川市川三丁目三八番地三所在建物登記簿謄本(昭五六・一〇・一九)
6の4 伊東市富戸字四辻下所在山林登記簿謄本(昭五六・一〇・一九)
6の5 伊東市富戸字四辻下九一七番地五九所在居宅登記簿謄本 (昭五六・一〇・一九)
6の6 加茂郡下田町白浜字砥川所在山林登記簿謄本(昭五六・一〇・一九)
7 診断書(島倉茂子)(昭五六・一〇・二七)
8 診断書(島倉正治)(昭五六・一〇・二九)
二 資料
1 昭和五四年度租税関係刑事々件量刑一覧表
2 昭和五五年度東京地裁判決に係る租税関係事件
3 ほ脱率九〇%以上の租税刑事々件(昭和五五年度高裁管内別)
4 参考となると思われる事例
5 最近五年間の査察実績
査察事件の判決動向(昭和五四、五年中地裁判決分)
通常第一審租税関係事件の罪名別終局人員(地、簡裁総数)
通常第一審における租税関係事件の終局結果(昭五二、五三、五四、地、簡裁総数)
租税関係事件の起訴人員(昭五〇~五四、地、簡裁総数)
本件は所得申告率二七%、ほ脱率七九%、ほ脱額二億八千万円余の租税犯であり被告人の責任は重大であり、原判決が説示するところはまことにそのとおりでありますが、本件犯行の動機、情状及び特別の事情更には被告人が、同年代の多くの国民がそうであったように、趣味を身につける余裕もなく、遊びも知らず、太平洋戦争を中にして、戦前、戦中、戦後を働くこと一途の生涯を送ってきた〝大正生れ〝の一人であることに思いをいたしますとき、原判決の刑の量定は、被告人に対する懲役刑の執行を猶予しなかったことにおいて、重きに失するものと思料しますので、是非ともその刑の執行を猶予していただきますよう、控訴の申立をした次第であります。(刑訴法三八一条、三八二条の二、三九七条)
左にその理由を申し述べます。
記
一 被告人の経歴
(一) 被告人島倉は大正二年新潟県下の山村(現在は合併により長岡市浦瀬町となる)の貧しい農家に五人兄弟の三番目二男として出生し、地元の尋常高等小学校(現在の長岡市立浦瀬小学校)卒業後一時家業の農業を手伝っていましたが、一年の半を積雪に覆われ、他に収入源となる副業もなかった当時にあって、一家は「食うや食わずの生活」であり、それ以前から東京、大阪方面への「出稼ぎ」、或は東京大阪方面での浴場経営、飲食業者の多くが、秋田、新潟、富山、石川等の出身者が多いといわれていることからも想像に難くないように、郷里の慣習即ち長兄が家業を継ぎ二男以下は、「家を出て外で働く」、それをせず又出来ない者は病弱の者か怠惰な者いわゆる「禄でなしということになって結局家にはいられない」との習いに従い、一六才の若年で同郷の先輩を頼って単身上京し、日本橋の飲食店に住み込みの雑役として就職し、自立の一歩を踏み出したのであります。郷関を出た以上独立し何事かをやり遂げることが彼を送り出した郷里の父母、兄弟、同輩に報いることになるとの信念の下に、被告人は以来同店の追い回し雑用に粉骨し八年の長き青春時代をこの間腎臓、肋膜を患いながらも、将来の独立を夢見て一途に労働、貯蓄に明け暮れたのであります。二四才の時ようやく荒川区尾久に「五坪位の貸店舗」に飲食店を開店し念願の独立を果し、糟糖の妻茂子と世帯を持つに至ったのであります。時恰も我国は戦時統制下に入り、やがて太平洋戦争へと突入し、営業も必ずしも容易でなかったのでありますが夫婦力を合わせて家業の経営発展に力を尽し「幾らか安定してきたところ空襲により」すべてが灰燼に帰したのであります。
(二) 大平洋戦争が終ったとき、国民生活はどん底に近い状態へ追いこまれていました。一般庶民にとっての深刻な経済危機を何よりもよく象徴したのは、「悪性インフレ」の猛威であり、窮迫した「タケノコ」生活であり、そしてこれらに輪をかけた「食糧危機」でありました。大部分の国民は食べていくことだけでもう精いっぱいであり、「タケノコ生活」や「買い出し」という言葉は当時の世相を端的にあらわした時代用語でありました。通常ならば帰るであろう郷里の米どころ越後は、他の米作地帯と同様に、終戦の昭和二十年は異常な凶作の年だったのであります。この年わが国は、夏の冷害と秋の風水害、それに戦時中の肥料投入不足等がたたって田園荒廃し、米の収獲予想量はたった三千九百万石、平年作の三分の一減(大正年間いらいの最悪の減収見込み)という悲惨さであったのであります。(有沢広己監修、昭和経済史下一四頁以下、日本経済新聞社、昭和二二・七・四第一経済白書参照)すべてを灰燼に帰し、学歴もなく、頼るべき親類、友人もなく健康もまた恵まれない被告人の妻子を拘えての生き様は想像に余る苦しみの毎日であったと思われるのであります。第一歩からの出直しで螺子工場の工員、自動車修理工場の手伝、食料品のブローカーなど種々職業を転々とし、食べるために必死に働き、その後「身体が弱いために理髪業なら肉体的に楽ではないかと考え」理髪店の経営をするに至ったのでありますが、五軒にまで店舗を拡張したところで人件費の高騰により経営不振となり、昭和四〇年ころ理髪店の初代店(現在の資生堂)を残しこれを廃業し、池袋に「カクテルコーナー」(北海六号店の前身)を開店することになったのであります。新しい事業は漸く発展の途をたどるようになりましたが、これも浮沈の激しいこの種業界にあって一切のぜい沢を廃し、利益のすべてを新規店に投入し、仕事一途にひたすら事業の拡大につとめたことによるのであります。
(三) 昭和四七年十二月には、被告人自らが代表者となり島倉商事株式会社を設立しそれ以降に新しく開店した飲食店については原則として会社が経営に当り、それ以前のものはそのまま個人経営とし同様の業種で事業拡大を続け、本件査察時には被告人が事業主体となるものについては一三店舗、会社が主体となるものは一〇店舗と、都内においても業界にあっても、中小企業としては有数の規模を築くまでに至ったのであります。被告人の店舗の形態は「大きい店でもせいぜい一五坪位の広さ」で、いわゆるパブとか炉ばた焼きであり、「破産寸前の時にサントリーから金銭的に助けてくれましたので、その時の恩義に感じて(国産の)サントリー製品しか扱わない」ということ等からうかがわれるように
<1> 被告人の目指すところは、一般の大衆が日々の疲れをいやし活力を生ませるべく気軽に又格安に利用できることにあり、右の形態を作るについても被告人は、関西に修業に出てこれを学び、「割烹の大衆化」「会計の明朗」「飲んでも食べても二〇〇円均一」をモットーに従来のバー、クラブ店舗を遂次改装し炉ばた焼店を中心にしていき、経営にあたっても、安かろうまずかろうではなく高給をもって有能な板前を雇い、又常用の大工を擁して自ら設計、管理で、材木の買い出しまで行って「ふる里」の雰囲気を出す店舗を作り、飲食物についても専属の魚屋、八百屋を持つなど顧客の要望に資するため見えない苦労を続けており、往々にしてこの種飲食業者にみられがちな単に儲ければよいといった経営形態は採るところではなかったのであります。他方従業員を「可愛がり」、こうした努力と工夫によって傘下各店の繁盤をもたらし、合計二三店舗従業員数約四〇〇名の事業主体となり、またこれらの生活基盤を支える責任ある立場ともなったのであります。
<2> 被告人のこれまでの生き様については、今日的見方からすればあるいは別様の評価もあり得るとは存じますが、一六才の少年が文字通り裸一貫で上京し、戦前、戦中、戦後の激動混乱の中にあって筆舌に尽し難い苦難を乗り越えて今日の地歩を築き上げたことについてはやはり何事かを成し遂げたものとして評価すべきであると思料します。弁護人は、被告人がその少年、青春、壮年の半世紀を通じ「趣味」ももたず、「遊び」も知らず、意識するとしないとにかゝわらず妻子のために、会社のために、国家社会のために「仕事一途」に、それぞれの苦難の道を生きてきた「大正生れ」の一人であることに思いをいたし、裁判所に対し、その過ちは過ちとして一掬の涙をそゝがれますことを心から願うものであります。
(四) この間被告人としても被告人なりにその社会的責任に思いをいたしており、社会に対し、ことに目立たぬ社会にありながら労苦を重ねている人達に対してはこれを援助してきているのであります。池袋警察署長から昭和四二年、同五三年と二回にわたり感謝状を得ておりますが、これは池袋警察署管内にあって飲食業を営むものとしてその営業を通じて警察活動の労苦と重要性を痛感して警察懇話会を通じて応分の協力をしてきたことに対するものであります。又同四九年十一月には、長岡市立浦瀬小学校及び長岡市教育委員会から感謝状を得ておりますが、出身母校の創立百周年にあたり被告人が記念碑を寄贈し謝思の意を表わしたことに対するものであります。さらにテレビ放映を見てねむの木学園、あるいは北海道富良野市所在の国の子寮のことを知り痛く感激し即刻それぞれに対し相応の寄附をするなどしておるのであります。被告人としては被告人なりにその社会的責任を果そうとしてきたことを示すものと思料されるのであります。
他方納税面においても、被告人は本件の前後にあっては少なくとも人並み以上に取り組んできたことは例年豊島税務署管下の豊島区内の公示納税者約一、〇〇〇名中五〇位前後に位置する申告と納税実績を保持実践してきたことからもうかがわれるのであります。
二 前科
初告人は昭和四一年十二月から同四四年七月までの間四回略式命令により、未成年者使用等の風俗営業取締法違反罪で罰金に処せられております。その他に、本件以外には、これまで過去にほ脱ありとして査察を受けあるいは何らかの処分を受けたこともなく、その他の犯罪の媒疑で捜査当局の取調を受けたことはありません。
三 犯行の動機
被告人は昭和五年単身上京し、敗戦後の困窮混乱の時期を漸くにして乗り越え、かねて念願の飲食店を独立して経営し、引続き事業拡大に専心し実績を築くうち昭和五〇年頃には、同五五年には上京後半世紀を刻むこととなるため、「五〇周年を記念して小さくてもよいから自分のビルを東京に持ちたいと念願」するようになったのであります。被告人は検察官に対し「現在事務所として使っている木村ビルの二階は賃借しているものでありますし、沢山持っている店もすべて借りているものでしたから是非自分のビルを持ちたいと考え、数年前には池袋東口に約五〇坪の土地を手に入れたのです。今から考えると査察を受けた当時はビルを建てるなどの資金を溜めたい一心で凝り固っており金の亡者になっていたように思われ大変はずかしく思います」。(昭和五六・一・一〇付三項)と反省しているのであります。又昭和五〇年前後の六五才から年と共に自らの健康と将来の経営に対する不安の念が強まり、ビル建設の念願の実現に対しこの辺早く何とかしないといけないという焦りに転じ老後のための貯え浮沈の激しい業界にあってこれに耐え得る資金を溜めておきたいとの願望と相まち、本件を敢行させるに至ったのであります。
弁護人は「これらの事情」について「特段に斟酌すべきものである」と主張するものではありません。ただ人間は、齢六〇を超えてその終末点である「死」が漸くその視野に来た場合しかも視野に入ってから現実に「死」に到達するまでの期間が今や人類が曾て経験したことのない男性七二才余女性七五才余という高令化社会に突入した現代にあって多くの高令者は、来し方行く末を案じて筆舌に尽し難い懊悩不安の日々を送っていることは、老人問題、高令化社会の問題を論ずる多くの論文、出版物によってうかがい知ることができるのであります。被告人島倉も一日々々体力・気力の衰えを痛感する六八才の高令者であります。被告人の五〇年の生涯は「粉骨、砕心、苦労の連続」の五〇年であったことを思いますとき、その身心の疲労は身体の奥深く浸み込んでいることと思われます。夜半目を醒まし、過去をふり返り将来を思うとき、言い知れない不安、焦燥感に襲われるものであることは察するに余りあるものがあります。
弁護人は、被告人が本件の動機として述べる事情について原審判決の「段に斟酌すべきものとも思われない」との指摘について敢えて異議を唱えるつもりはありません。被告人の本件犯行の動機として述べるところは余りにも人間的であります。弁護人はたゞ、当裁判所がその「人間的であること」に思いを致されて量刑を決せられますことを願うものであります。
四 犯行の動機
原審判決は「犯行は計画的かつ巧妙で悪質であるといわざるを得ない」と判示しておりますが、後に詳細述べているように、別添資料掲記の同種裁判例のいくつかにうかがわれる複雑、重畳的な脱税工作方法は本件にあっては全くないのであり必ずしも全体として計画的巧妙であるとはいえないと思料されるのであります。除外した売上金も自己あるいは家族名義の口座に預金するといった方法であり調査を受ければ直ちに全ぼうが判明する類であります。大胆とするには余りにも単純且幼稚とさえ言い得るものでありますが、被告人としてはただ小さくても自分のビルが持ちたい、老後の不安をなくしたい、との一念にかられ、当局の調査・脱税の発覚、その防止などといったことは、それらの焦燥・不安の前に意識の上に浮上しなかったのではないかと考えられるのであります。もとより本件の査察により一朝にしてその全ぼうが解明されたのでありますが、査察が開始されたことにより被告人としては、一時の迷いが払拭された心境となったところであり、他の事例でみられるように、他に責任を転嫁するとか罪証隠滅工作に走ることも一切なく積極的に解明に協力したのであります。
弁護人は、本件がその態様において計画的且組織的或は巧妙に行なわれた悪質なものとすることに躊躇せざるを得ないのであります。
五 犯行後の情状
(一) (ほ脱税額の完納)
本件査察により判明したほ脱税額及びこれに対する被告人並びに被告会社の納付状況につきましては、現金及び振出手形により納付してきたところでありますが、(昭和五六・七・七付弁護士加藤義樹提出に係る弁論要旨参照)昭和五六年十月二三日現在、なお延滞税として昭和五一年度修正申告分四六三万五、一〇九円、昭和五二年度修正申告分一、三三五万二、二〇〇円、昭和五三年度修正申告分八九九万四、九〇〇円、計二、五九八万二、二〇九円、利子税として昭和五四年度確定申告分八万六、四〇〇円、重加算税として昭和五二年度決定分二、五四六万三〇〇円、昭和五三年度決定分五〇万八〇〇円計二、五九六万一、一〇〇円で、未決済残額は合計五、三〇二万九、七〇九円でありました。(疎明資料(1)参照)被告人は後記のように経理事務の改善新たな顧問税理士の選任、個人営業の会社への移行等再度脱税などが行われることのないよう所要の措置を講じ、会社の役員を辞任してその責任を明らかにすると共に、(疎明資料2、3の1・2参照)去る十月二三日前記未済残額納付の手続を終えたのであります。結局被告人らが申告及び修正分として納したところは
1 被告人分
昭和五二年度 申告納付分 四〇、六九二、六〇〇円
修正納付分 一八九、二三八、〇五〇円
計 二二九、九三〇、六五〇円
昭和五三年度 申告納付分 二五、四五六、七〇〇円
修正納付分 一九一、〇〇一、二九〇円
計 二一六、四五七、九九〇円
2 法人分
昭和五三年度 申告納付分 一三、八〇〇、二〇〇円
修正納付分 九九、五八七、一五〇円
計 一一三、三八七、三五〇円
となり、重加算税等の行政罰により、実際所得額はほぼ全額吐き出したことになるのであります。自らまいた種とはいえ被告人は謙虚にこれを受けとめております。
3 付加税の納付が遅延していた事情について一言申し述べます。すなわち自ら自社ビル建築用にかねて購入していた土地を含め他の不動産につきましては購入資金借入れや、その他営業上の資金導入のための担保権が設定されているうえ(疎明資料(6)―1~6参照)昨今の不動産取引の沈滞から容易に換価することのできない面があり、預金につきましても、当該金隔機関からの借り入れた担保のための拘束預金ないしにらみ預金として実際には使用することはできず、又七億円近い流動負債を抱えていることからも、単に右の資金があるとしても、これを取りくずして納付に充てることは、現実問題として難きを強いるもので容易ではなかったのであります。国税当局から残余については、納付のために振出れた手形が決済された時点で再度納付方法を接衝してよいと言われていたことも一因になったものと考えられるのであります。しかして被告人は原判決後の同年一〇月一五日、島倉商事式会社において三菱銀行から諸経費支払資金として金五千万円也を消費貸借してもらい、更にこれを転借することにより前記の未納税金を完納したところであります。(疎明資料(1)~2)
(二) (法人に対する罰金の納付)
島倉商事株式会社に対して課せられた罰金一、三〇〇万円については昭和五六年一二月八日全額を納付したところであります。(疎明資料5参照)
(三) (経理事務の改善)
本件が被告人の個人的発想の下に惹起されるに至ったものであり、これを可能ならしめた素地は、被告人個人が過半の店舗の事業主体となっておりその売上を左右し得たこと、被告会社が事業主体となるものについても、被告人のワンマン経営を許していたところにあったことは、被告人の原審公判廷における供述、検察官に対する供述(昭和五六・一・一〇付四項)からも認められるところであります。被告人はここに思いに至り、金輪際脱税などの事態をひきおこすことのないように決意するとともに、その素地をも一掃すべくすべての店舗事業主体を会社に移行することとし、昭和五五年五月からこれを実行しているところであることは、原審における弁護人の弁論要旨に詳細述べられているとおりであります。又本件を機会に、経理担当の社員として、新たに小林修司(昭和一二・六・一〇生、東京都板橋区所在文化シャッター株式会社経理部経理課にあって一〇年間経理事務に従事)及青木豊和(昭和一六・一〇・三生、大阪市阿倍野区福祉事務所にあって八年間経理事務に従事)の二名を補充して経理事務の適正化を期し、顧問税理士についても、本件当時の岡芹一夫税理士から顧問辞退の申出もあったことを機に、財津良三税理士に依頼し、これらの面からも気を新たにして資産表、損益計算書、貸借対照表等経理関係書類の適正、納税申告に際しての過誤なきを期しているのであります。また被告人は、本件の責任の重大さを痛感し自らの体力、気力の衰えにも鑑み、その任期満了を機会に、いわゆる島倉商事株式会社から名実共に離脱することとし、代表取締役はもとより取締役をも辞退しているのであります。(疎明資料3の1、2参照)
右の措置の他税務処理上の疑義については、その都度税務当局に直接問い合わせて指導を受けることとしたこともあり、査察後の昭和五四年同五五年度の税務処理については一点の非違事項の指摘もなく申告を受理され、納税義務の履行に万全を期している次第であります。
被告人は右の改善措置を採ったほか、事業自体の整備をも実行し、又実行すべて計画しているところであります。すなわち島倉商事株式会社にあってはその目的にキャバレーの経営、ホテル及び旅館の経営があったのでありますが、被告人においても右会社においてもホテル、旅館の経営実績はなく、将来これを行う計画もなく、又キャバレーについても、昭和五一年一二月まで千葉県柏市において「世界の夜」の名称の下にキャバレーを経営していたこともありましたが、同月これを廃業し以後実績のないことから、いずれについても、法人の目的からこれを除き、炉ばた焼パブ等の大衆酒場、レストラン喫茶店の経営のみにあたることとしたのであります。(疎明資料4―1、2参照)
被告人個人の許可にかかるいわゆるトルコ風呂につきましては、現在なお廃業しないままとなっておりますが、その経営実体は赤字であり被告人としても廃業を決意しているのではありますが、右店舗は賃借にかかるものであって、トルコ風呂としての特殊な造作を施しているため、これを廃業して建物を返還するためには原状回復に高額な資金を必要とし、又従業員を容易に解雇しえない面もあって、赤字の儘継続させておりますが、被告人としては、機会を得てこれを廃業或は他に譲渡する計画でおります。
六 租税犯に対する科刑について
(一) 租税犯に対して制裁として科せられる罰すなわち租税罰は、直接には租税法規の実効性を保障することを目的とし、間接には納税義務の履行を確保することを目的とします。
租税犯についての立法の沿革を顧みますと、昭和一九年迄は定額財産刑主義、自首不問罪及び転嫁罰規定が採用され、また、刑法総則は大巾にその適用を排除され、刑罰であるとはいっても損害賠償的な性格がかなり顕著に認められたのであります。
ところが昭和一九年の改正により、間接税に自由刑及び両罰規定が採用されて財産刑についても、量刑に裁量の余地が与えられることになりました。
その後昭和二二年に至り、直接税に申告納税方式が採用されましたが、これを契機として、直接税にも自由刑及び両罰規定が採用され、自首不問罪、定額財産刑主義が廃止せられました。
このような沿革からみましても、租税犯の自然犯化の傾向が顕著であることは疑いを容れないところであり、戦後一方において租税犯の反社会性を強調し、刑事犯と同様に取り扱おうとする傾向にあることは否めないのでありますが、他方において、租税犯も他の警察犯等の行政犯と同様に、特定の時所における行政目的を具現する―従ってその内容は政策的にどのようにでも変更できる―租税法規の違反の事実に着目して、当該租税法規の実効性を担保し、間接に義務の履行を確保するための手段として、租税罰を科すべきものとする趣旨でその意味で一種の行政犯的特色を有するものといいうるのであります。(租税法田中二郎法律学全集・新版三六六頁)
租税犯の自然犯化が声高にいわれ、脱税犯に対する刑事制裁が損害賠償的な色彩をもつといった考えは払拭されようとしていますが、それにしましても、刑事訴訟法四九一条は「(相続財産に対する執行)没収又は租税その他の公課若しくは専売に関する法令の規定により言い渡した罰金若しくは追徴は、刑の言渡を受けた者が判決の確定した後死亡した場合には、相続財産についてこれを執行することができる。」と規定しており、「本来一身専属であるべき罰金について他の犯罪と異なり、租税や専売に関する事犯の罰金刑だけは相続財産についても執行できるようになっているのが、実定法の現実」であります。(犯則調査をめぐる諸問題、大和田常裕、租税法研究第九号、有斐閣)
殊に申告方式を採用しております所得税や法人税につきましては、人間の浅はかさからつい有利なように申告をなし、脱税犯に陥りやすいのが実情であると思われます。「われわれは何かの負担を課せられるということになりますと、それを回避しようという本性があるのではないかと思うのであります。租税回避というものはそういう意味でやっかいな問題であり」「租税刑法というものは一般の刑法理論となじまない箇所が多すぎ、行政刑法の中でも特異な存在ではないかと思われ」「租税刑法は自由刑で罰するべきではなくて、できる限り罰金刑に代えてやるべきで、罰金刑に服することがたいへん難しいということであれば収監というのがだいたい考えられる」というのが租税実務家の卒直な実務感覚であり意見ではないかと思われるのであります。(租税刑事法の諸問題租税法研究第九号一四九頁有斐閣)
(二) 刑罰は重ければ重いほどいい、一罰百戒という趣旨のものではないと思われます。つり合った刑罰ということが大事かと思われます。その場合現在の日本人の納税モラルはどうか、ということをも見ながら租税刑罰に対する科刑を考えていかなければならないのではないかと思うのであります。納税モラルは現実の租税体系と関係法規の運用状況との関連において考えられるものと思うのでありますが、わが国の現行租税体系は所得税、法人税などの直接税を基本とし、個別消費税を中心とする間接税等でこれを補充するという、直接中心の体系となっております。直接税中心の租税体系をとる場合、その累進構造のために、経済成長に伴い直接税の負担は増大しますが、わが国の場合所得の増加率に対する税収の増加率の割合即ち税収の所得弾性は極めて高いことが指摘されております(私たちの税金八七頁昭和五六年版国税庁)。わが国では毎年のように所得税について減税を行ってきたにもかかわらず、直接税の割合は遂年高まり、昭和四〇年度には五九、二%であった直接税の比率は昭和四九年度には七三、九%までに上昇したのであります。翌昭和五〇年度には景気沈滞に伴う税収の落ち込みにより六九、三%と若干低下し、その後は間接税中心の増税が行われたこと等によりほぼ横ばいで推移しており、昭和五六年度では七〇、九%となっております。
前出「私たちの税金」はわが国の税意識について次のように述べております(七八頁以下)。すなわち、「租税収入を確保するためには優れた理論に裏付けられた租税制度と有能な専門家をそろえた税務行政の機関が必要なことはいうまでもない。しかし、現代の租税が国民の承認のもとで支払われるという構成をとっている以上、租税収入を確保するために、国民が租税にどれだけの関心と理解をもっているか、また税負担に対しどの程度の不満をもって耐えているかを確かめることも重要な問題である。」。総理府(広報室)は、昭和五四年八月、全国の二〇才以上のサラリーマン、営業者、自由業者など三、〇〇〇人を対象として「税金に関する世論調査」を実施した。この結果によると
「税金に関心がある」という者は六〇%
であり、これを性別でみると男性七〇%、女性五〇%と男性に多く、また年令別では四〇才、五〇才で関心がある者が多い。
「税金に対して関心がある者」に対し、税金のどういうことに関心があるかを自由にあげてもらったところ
「自己の負担する税金」に関することをあげた者が六〇%
で最も多く、次いで
「税金の使途」関すること三〇%
「税制、税体系などの仕組み」に関すること一五%
「所得の調査、実際の徴収の仕方など」に関すること一一%
などの順であった。つぎに税金に対する考え方をみると
「苦痛は感じるが、法律で定められているから納めなければならない」という考え方および
「理屈はともかく国民の義務として当然納めなければならない」という考え方に
「そう思う」者がそれぞれ九一%あった。
さらに税の負担感をみると「所得税は高いと思うか」と聞いたところ
「かなり高い」とする者が四四%で最も多く
「非常に高い」一四%を合せると
「高い」とする者が五八%で過半数を占めている。これを職業別にみると、自営者五四%、被傭者六六%、と被傭者に「高い」とする者が多い、ということであります
(三) 脱税は、現代の社会経済構造と切りはなすことができず、社会のまっただなかにいる企業関係者や市民によって行われるいわゆる現代社会型犯罪であって、殺人、強盗などの伝統型犯罪とちがった性質をもっているということができます。できるだけ租税負担を免れようとするのが経済人の常といわれておりますが、租税法規の難解性に加えて、違法、合法の限界も必ずしも明確でなく、考え方によっては、無数の市民が脱税ないし脱税類似の租税免脱行為をしているとさえ極言するものもあるのであります。
「脱税は犯罪になることはあっても、たかがお金の問題で被害者を恐怖に陥れる凶悪犯とはわけが違う。こういう犯罪にはまず財産刑で不利益を与えるのが筋合であろう。初犯から懲役刑をもって臨むのはこの種の犯罪に対する科刑としては過酷の感を免れない」(植松正「法のうちそと」ダイヤモンド社二一八頁)との見解も、「適正な申告納税制度の確立と相侯って、租税ほ脱に対しても一般刑法と同次元で見ていこうとする国民的コンセンサスの定着していく傾向がみられる」(ほ脱犯の訴追公判をめぐる諸問題、松沢智、租税法研究第九号五六頁)なかにあっても必ずしも世論に反する不当なものとは言うことができないと思われるのであります。
(四) 終戦前は、直接国税脱税犯が処罰されたような実例はなかったといってもよいようでありますが、昭和二二、三年ごろから、刑事制裁が実行されるようになり、脱税を反社会的罪悪性を有する犯罪としてその刑事責任を追求するというのが一貫した実務の態度であります。ここ数年では年間一六〇件前後の脱税犯が告発、起訴され有罪になっているといってよいと思われます。直接国税脱税犯については、収税官史の告発は法律上訴訟条件とされておりませんが、実務上訴訟条件であるかのように取扱われております。(資料Ⅴ最近五年間の査察実績、査察事件の判決動向参照)
他方、重加算税の適用状況は、所得税年間二千件程度、法人税三~四万件でありますから、大部分の脱税の制裁は、重加算税といった行政上の措置にとどめられていることがうかがえるのであります。
起訴された個人行為者のほとんどは懲役(大半は六月~一年六月)と罰金(ほ脱額の二〇%前後の額)を併科されていますが懲役にはほとんど全部といってよいほど執行猶予がつけられているのであります。このことを指摘して「外国との比較などを考えて、また国民世論を見ても非常に軽すぎるではないかというふうに思うわけです。しかも執行猶予が当然視されているのも問題です、計画的、意識的に行っている犯罪でありますからそれを阻止するためには金銭的な制裁だけでは具合が悪いという面があるわけです。しかも脱税額が、巨額であって非常に計画的でしかも何回もやっているというのもかなりありまして、そういったものがみんな執行猶予などというのは常識的にもおかしいのではないかと思うわけです。より重くではなくて非常に軽くされすぎているところがあり、なぜ執行猶予を付けるかも何も書いてないような判決もかなりあるわけなので、そういうことは具合が悪いのではないかと思っているわけです」との学者による評論もみられるのであります(前掲租税法研究第九号一五二頁)。「外国との比較」があげられておりますが、アメリカでは一九七八年脱税で刑の宣告を受けた一、五三二名のうち六八一名(前年六八五名)が自由刑の実刑に処せられており、フランスでも、一九七四年脱税で二八一名が自由刑に処せられうち四六名が実刑となっているとのことであります(山本高志「脱税犯処罰の刑事政策的展望―直接税を中心として―」昭和五四年度税大研究科論文集第一分冊)。参考とすべきもののあることはもちろんでありますが、その場合には国民性、社会的風土、租税政策更に行刑運営の実際等の相異に十分な考慮を払うべきで、これら外国の数字をもって直ちにわが国の科刑上の一つの基準的要素とすることはにわかに賛成することができないところであります。
論者は「懲役刑にはほとんど全部といってよいほど執行猶予がつけられていること」に「問題」があり「軽すぎる」とされているようであります。もとより傾聴すべき見解でありますが、そのことを以て直ちに具体的な事件に関する科刑をより厳しくすべきものとする拠り処とすることはできないところであります。
(五) 昭和五五年になって懲役の実刑判決がいくつか出るようになったのでありますがそれらはいずれも、ほ脱率において九〇%及至一〇〇%に達しほ脱税額も数億円に上っているのみならずほ脱の発覚、摘発の波及を防止するために複数の販売会社を設立し、或は法人の代表者名義を秘して各地に法人を経営しながら、全く別会社の如き外形をとっていること等、ほ脱の手段、方法が極めて計画的かつ組織的であること、さらにこれまでにもこの種事犯の摘発を受けているにもかかわらず脱税を継続し、或は同種脱税事犯により有罪の判決を受けその懲役刑の執行を猶予されている期間中に既に脱税行為を開始していること、また事件の摘発を察知するや伝票、帳簿の廃棄を指示し、或は国税局係官の上司に陳情し政治家の名前を利用して架空の簿外費用の存在を申立てこれを認容させる等、証拠の隠滅行為を行ったこと等が認められる事案であってこれら被告人には納税制度に対する「挑戦的」ともいえる態度がうかがわれ、申告納税制度の根本を破壊するような高度の反社会性がうかがわれるのであります。(昭和五五・三・一〇東京地判決・判例時報九六九号、昭和五五・一二・四東京地・判例時報九九六号別添資料Ⅱ参照)
以上述べました点を彼此考え合せますと租税犯の科刑については、刑事犯として自然犯化の傾向の中にあって、具体的な刑事制裁を科するにあたって一般刑事犯のそれとはおのずから差異があって然るべきものではないかと考えられるのでありまして、なるべく財産刑を以て科刑し、これを以て対処し得ないものについて自由刑を科し、その場合納税制度を根本的に崩壊せしめるような悪質犯の場合以外は執行猶予に付することが、重加算税の賦課等の行政措置と相侯って、租税罪の目的に適合し、刑事政策にも適合するものと考えるのであります。
七 (本件の量刑についてお願い)
(一) いうまでもないことでありますが、犯罪は、何人かの具体的行為であり、犯人は具体的な人間であり、犯罪現象は具体的人間の属する特定の社会における現象であります。
検察官が公訴を提起するか、起訴猶予処分に付するかを決定するにあたり、或は、裁判所が刑の量定を決するにあたって、応報観念の満足並に一般威嚇作用を考慮するだけではなく、「犯人の性格、年令及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情状」を判断の材料とすることを要するとされる所以であり、犯罪の原因として、個人的原因のみならず、社会的原因をも究明すべきことが要請される所以でもあります。犯罪現象の予防及び克服に関する刑事政策が、刑罰政策に限らず刑罰以外の方策も含まれるとする所以でもあります。
ほ脱犯に対する量刑を決するにあたって、租税犯科刑の沿革・歴史を背景に、租税制度全般の推移、国民の意識をふまえて一般予防面を考え、同時に営業目的、経歴、納税の状態、ほ脱の動機、手段方法、罪証隠滅の有無、ほ脱税額、ほ脱率、申告率、犯則所得の使途、当該犯行関与の程度、再犯の虞れの有無(経理の改善)、改後の情の有無等が刑の量定にあたり考慮すべき要素であるとされる所以であります。弁護人は、従前のほ脱犯に対するわが国の裁判所の量刑も、その判決において量刑事情の仔細を説明するところがなくても標示する証拠、事実審理の経過をふまえて、諸々の事情を相関的評価の下に綜合検討の上、決せられていることは当然のことと信じて疑わないものであります。
改正刑法草案は「刑は、犯人の責任に応じて量定しなければならない」としております。しかし、現実の量刑を指導するものは、単に責任要素のみにとどまることなく、行為の客観的事情、行為者の社会的危険性等もまた重要視されております。量刑の過程は単純ではないのが現実であります。
犯人の年令・性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響、犯罪後における犯人の態度その他の事情を全体的に考慮して量刑が行なわれているのであります。人間それ自体の、人間社会の複雑性を思うとき、人間の行為に対して強いて客観的基準を設けて、一刀両断的に評価することはできないのではないでしょうか。量刑が、経験の積み重ねによる高度に質的な判断であるといわれる所以であると思うのであります。
租税に対するこれまでの量刑に関して、直税ほ脱の行為者に対して併科される懲役刑の殆んどに執行猶予が付されていることを目して、「量刑が名目化して一般予防を図ることは期待できない」(大分地裁、昭和五〇・一・二三判決、判例時報七八六号一一三頁)とし「これまで脱税のような利欲犯に対しては経済的制裁を加えれば足り、行為者をあえて刑務所に送る必要はないという考え方が根強く、そこで懲役には執行猶予をつけるのが当り前のようになってきた」或は「執行猶予が当然視されるのは問題である。」(前掲租税刑事法の諸問題二一頁、一五二頁)とする見解には、にわかに左袒できないものがあるのであります。
刑の執行猶予は、その性質からいえば、刑の執行を一時猶予するだけのものであって刑そのものの内容ではありませんが、これを現実の制度として考えるとき、単に刑の執行を一時延期するというばかりでなく、猶予期間を無事経過した暁には刑の言渡の効力が失われるというものであります。刑の執行猶予は、科刑上刑の量定以上に重視すべき大きな価値があり、実際においても裁判官、検察官、弁護人、被告人およびその他の関係者にとって「単なる刑の量定などとくらべものにならぬほど科刑上重要視されていることはわれわれの動かぬ常識」となっているのであり、(刑集二巻一二号、一六六七頁)、最高裁判所三〇年の実務もそのことを裏書きした結果となっているように思われるのであります。諸般の事情を慎重に考慮された上での執行猶予の言渡しであると信ずる次第であります。
租税犯に対する刑の量定について結果的に裁判例の殆んどが懲役刑について執行猶予を付していることをもって「名目化している」或は「当然視されている」とすることは裁判の事情、ひいては本質を誤解せしめるおそれがあると思うのであります。
昭和五五年になって懲役の実刑判決が出るようになった(資料Ⅱ参照)ことを機会に「今日の実刑判決の出現は、社会的要請をふまえた実務の姿勢を示すものとして評価され」「これまで、脱税のような利欲犯に対しては経済的制裁を加えれば足り、行為者をあえて刑務所に送る必要はないという考え方が根強く、そこで懲役には執行猶予をつけるのが当り前のようになってきたが、脱税に対する刑事制裁はむしろ金銭的制裁よりも自由刑を中心とすべきで………実刑に処すべきとは実刑に処すという態度を定着させることがのぞまれる」(板倉宏、租税刑事法の今日的問題、前掲租税刑事法の諸問題、一七頁、二二頁)として、これまでの租税犯罪に対する量刑なかんづく刑の執行猶予に対する批判の声が大きくなっているようであります。
(二) しかしながら租税犯に対し東京地裁が昭和五五年度に言渡した実刑判決を検討するとき
1 個室浴場経営者A観光株式会社等に対する法人税法違反各被告事件(昭和五五・三・一〇宣告、昭和五三年特(わ)九二〇号、同一〇一三号、判例時報九六九号一三頁)は、
(1) (被告人の役割)
イ 被告人E(懲役一年六月)は各被告会社四社の実質経営者として業務全般を統括しながら、そのいずれについても名義上の代表取締役ではないのみならず、一切の役員にも就任せず、
ロ 同族会社判定のための株主名義について自己の名義のみならず、家族名義さえも用いず、すべて虚偽の他人名義を記載しており、
ハ 本件脱税が発覚するや、被告人は右名義人ではないことを以て、各被告会社の実質経営者はすべてSであり、右Sが実権を握って脱税を指示したものと虚偽の申立をなし、昭和五一年にすでに死亡していたSに全責任を転嫁させるべく弁解し、また関係者等を集合せしめ、同人等に同一内容の罪証隠滅工作を指示し、
ニ 被告人において検挙されるや、実質経営者であることを否認した後に自白し、その後公訴提起されて、第一回公判においては、これを認めて法律上の責任は何ら争わない態度を示していながら、保釈を許されるや、第二回以後に至り、突如、法人の代表者たる名義人でない以上、法律上の責任はないから公訴は不適法であるとして争い公訴棄却を求めている実状にあり、
(2) (ほ脱税額、申告率)
被告会社四社合計一一事業年度で
イ (ほ脱所得額)は一二億四、九二七万四、七八五円
ロ (ほ脱税額)は四億八、九〇九万五、八〇〇円
ハ (申告所得額)は欠員額△六〇四万二、三八九円
申告額は 六七二万六、三六三円で
差引き 六八万三、九七四円
ニ (申告税額)は 一八八万二〇〇円
ホ (ほ脱率)は 九九・六%であり、
ヘ (申告率)は 全く納税をしないに等しいという事案であって、判示する如く、
「法人を設立し自ら代表者となるということは、企業責任を自覚することを意味する。自己の利欲のみを追求して、他人に責任を転嫁させ、責任を免れようとする所為は、法人制度に対する著しい挑戦といわざるを得ず、法人税法の秩序を乱し、申告納税制度を根本から破壊することともなり、誠実な納税者の納税意欲を失わしめる虞れがいたって大きく」「ほ脱所得額、ほ脱税額、ほ税率、申告額、申告率をみると、納税義務を負う一般国民をして、誠実な納税意欲(納税倫理)を全く失わしめるものといえる」特質がうかがれるのであります。
(3) (被告人の情状一般)
イ 被告人の税に対する認識は、「まともにやったら税金を払うために事業をするようなもんじゃないか」といった程度であり、
ロ 被告人のほ脱の反覆的性格は、
(イ) 被告人は、昭和四六年頃「Aセンター」を経営していたところ、かねて売上除外を同店経理担当マネージャーUに指示し実施させていたが、税務調査を受け右売上除外の帳簿を発見されるや、税務署への言い訳の手段として、除外額は同人が売上金を勝手に横領していたという筋書を仕組み、同人をして逃亡したことにするため姿を隠させる必要から、被告人において用意していたマンションにかくまい、後日、同人に対し「お前の失敗で何だかんだで一、〇〇〇万円近く使わされるはめになった」と文句を言った事実、
(ロ) 本件事業年度である昭和五〇年四月頃、甲税務署から、被告会社(二社)に対し税務調査があり、原始記録の提出を求められたが、破棄して存在しないと申立て、取引先の反面調査の結果経費否認を受けたり、別途利益を算定され、修正申告を勧奨されたが、税理士を介して「こんなことは絶対に受けいれられない」として五回程税務署係官と交渉させたうえ、徒労に終ったため、やっと修正申告に応じた事実からも容易に認められるところであり、
(4) (罪証隠滅行為)
イ 上記のとおり、被告人は本件ほ脱が発覚するや、各被告会社の代表者名義人でないことから、実質経営者はすでに死亡したS会長であって、同人が脱税を指図したと虚偽の申立をなしたり、または関係者等に指示して、口裏を合わせて右の罪証隠滅行為を行わせていること、
ロ 国税局係官の上司に陳情し、被告会社の顧問であった代議士の名前を利用して、架空の簿外費用の存在を申立て、これを積極的に裏付けるような証拠資料がなかったのを、あえてこれを認容させていたこと
が認められるのであります。
2 前同様個室付浴場を経営するK観光有限社会等に対する法人税法/反各被告事件(昭和五五・三・二六宣告 昭和五四年特(わ)二九九八号資料Ⅱ参照)は
(1) (不正手段の態様と被告人の役割)
イ 実質経営者である被告人T・Y(懲役一年六月)において各被告会社九社を経営していながら、そのいずれについても代表取締役のみならず役員ともならず、一切の名義を伏せていずれも従業員や友人の名義にしていること、また、被告人の自宅において経営の集中管理をしながら、各会社を支店ともせず、更に、各被告会社の本店所在地をみると、各会社の営業店舗の所在地と全然かけ離れた場所に定めていることや本店所在地を転々とさせていることがみられること、
ロ 各被告会社の法人税確定申告書には出資したのは被告人一人であり、いずれも被告人によって実質経営されるいるにもかゝわらず、(他の株主又は社員が記されていて)そのことを直ちに認めることは困難であること、
(2) (ほ脱税額、申告率)
被告会社九社合計一八事業年度で
イ (ほ脱所得額)は 六億六、三四六万五、六三六円
ロ (ほ脱税額)は 二億四、九〇二万一、〇〇〇円
ハ (申告所得額)は 欠損額△一、七五一万五、〇七七円
申告額は 六、〇一四万六、四八六円で
差引き 四、二六三万一、四〇九円
ニ (申告納税額)は 一、八四一万七、〇〇〇円
ホ (ほ脱率)は 約九四%であり
ヘ (申告率)は 約六%
ということであります。
「被告人において各被告会社を設立したり買収したりしたうえ、代表者としての名義人とならず、その背後に隠れたことは、そこにほ脱の意図をも明確に有していたものと認めることができるし、それは法人税法における税秩序を著しく乱したものであって、申告納税制度を破壊し、他の一般納税者の納税意欲(納税倫理)を失わしめる虞れが大であり、」「そもそも、法人を設立し自ら代表者となるということは、企業責任を自覚することを意味するが、被告人において代表者とならず、自己の利欲のみを追求し、責任は免れようとする所為は、まさに法人制度に対する著しい挑戦といわざるを得ず、要するに本件は、被告人において自己の利欲のみを追求することだけの道具として会社制度を利用したものともみうるのであって、法人税法の秩序を乱し、申告納税制度を根本から破壊することともなり、誠実な納税者の納税意欲(納税倫理)を失わしめる虞れが大である」「ほ脱額・ほ脱率をみると、納税義務を負う一般国民をして誠実な納税意欲(納税倫理)を全く失しめ」るものであると判示する所以であります。
(3) (被告人の情状)
イ 被告人の税に対する申告は、「まともに申告していては(他の事業への転進のための目的)のための資金の蓄積ができないと思ったため、悪いということがわかりながら、昨年六月東京国税局の査察調査を受けるまで、各会社の売上の一部を除外することを続けていた、」また「脱税ということが利益にならないことが遅まきながらよく分った」旨の供述と、本件申告率の著しい低率とを併せみればそれは納税義務という観念が著しく稀薄であることを示すものといえる。
ロ (証拠隠滅行為)
架空の借入先をつくったり、調査対象年度前に多額の預金の存在を仮装工作するため取引金融機関に架空の証明をさせ、売上メモ写しを秘かに保存していた妻に対し、右メモが発見されたことに憤激し、暴力を振い、その責を問い、メモについての言い訳や弁解を命じていた事実が認められ、
ハ (再犯の虞れの有無)
公判廷において、本件犯行後、関与税理士を変え、近隣に居住する税理士に経理を担当せしめていると供述しているが、依然として妻が従前と同様に帳面につけており、各地に散在する各被告会社の経理体制の改善ないし、被告人方への送金の金額の正確な把握のための改善策等につき、何等その方法が窺われず、再犯の虞れが全くないとはいえない。
とされているのであります。
3 時計・喫煙具等の販売を目的とするM株式会社及び役員A(懲役一年)に対する各法人税法違反被告事件(昭和五五・五・二八宣告、昭和五五年特(わ)五六二号)は、
(1) 三事業年度にわたり、いずれも欠損または零申告を行ない
(2) 各年度とも、ほ脱率一〇〇%で
(3) ほ脱税額も五、〇七二万四、一〇〇円で決して少ないとはいえず、
(4) 被告人は昭和四五・四六年にわたり本件同様の不正行為により所得税を免れたことによって、昭和四九年七月一〇日所得税法違反罪により懲役四月(二年間執行猶予)及び罰金五〇〇万円に処せられたばかりか、
(5) その際遡って五年分の修正申告を余儀なくさせられていながら、昭和五〇年にも下谷税務署の調査を受けて三年度分の修正申告をしており、
(6) 上記懲役刑の執行猶予期間中に重ねて本件の不正行為を開始し、
(7) 昭和五四年六月に本件の査察が行われた際、約二億円の銀行預金証書等が発見されなかったことをよいことに、右証書等を貸金庫から他人に預け直して隠匿し、逮捕されて初めてこれを明らかにする。
など「同被告人には一貫して納税制度に対する挑戦的ともいえる態度が認められる」と判示しております。
4 土木建設用消耗資材等の販売業を営むS(懲役一年、罰金四、〇〇〇万円)に対する所得税法違反被告事件(昭和五五・一〇・三〇宣告、昭和五五年特(わ)一八九号 資料Ⅱ参照)は、
(1) 当初から被告人に正当な納税意思がなかったことが明らかであり、
(2) ほ脱額は一億七、一一八万一、三〇〇円の高額であり、
(3) 三事業年度にわたっていずれも欠損または零申告を行ない、
(4) ほ脱率が一〇〇%であり、
「被告人のこうした態度は、とくに現行の申告納税制度のもとにおいては、単に国庫の収入に損害を与えるだけではなく、正直な申告納税者の公平感を損ない、ひいては他に負担を転嫁して税の均衡負担を破るものである」と判示しております。
5 貴石製品等の小売業を営む会社の実質経営者A(懲役二年 罰金 二、〇〇〇万円)及び同人を補佐して会社の業務全般を総括処理していたB(懲役一年六月 四年間執行猶予)に対する物品税法違反被告事件(昭和五五・一二・四宣告、昭和五五年特(わ)一九一三号、判例時報九九六号 一三七頁)は、
(1) 脱税の動機として酌むべきものがなく、
(2) 脱税の額もこの種事犯として他に例を見ない合計二億一、二八三万六、五〇〇円の高額であり、
(3) ほ脱率も決して低いとはいえず、
(4) 被告人Aは、販売会社を順次設立し、いずれも別に名目上の代表者を置いたうえ、被告人Bを通じてその実質的な経営を行なっているが、こうした複数の販売会社設立が、一面において、脱税の発覚や摘発の波及を防止し、もって危険の分散を図る意図のもとになされたことは否定し難く、
(5) さらに、展示販売会を企画管理し、その経理事務等を処理するためとしていわゆる企画会社を次々に設立しているが、これも、全国各地の展示販売場から売上伝票等の送付を受け、公表分の内容に見合うよう仕入先の納品書を作り直して仕入先の押印をもらったり、勝手に納品書を偽造したり、一か月分の売上伝票を完全に書き直す等の脱税方法を容易にするとともに、脱税の発覚を防止する意図も含めてなされたことは明らかであり、
(6) 被告人Aは昭和四七・八年ころから貴石製品等の小売販売業を始め、間もなく、いわゆる移動式展示販売方式を採用して次第に商圏を拡げたものであるが、その間物品税の脱税を続けて摘発を受け、昭和五〇年六月には金沢国税局長から、同四二年七月には東京国税局長からそれぞれ通告処分を受けたものであるが、
(7) こうした摘発や処分にもかかわらず、なおも脱税を継続し、
(8) 本件の摘発を察知するや、伝票、帳簿等の廃棄等を指示し、実質的経営者を被告人Bひとりにする旨を打ち合わせるなどの証拠の隠滅行為を行なっており、
「このような事情に照すと被告人Aの刑責は重い」旨判示しております。
すなわち、これら実刑判決を科せられた事案は、いずれも、(1)ほ脱にかかる不正手段の態様において、それが税制の根本を否定する程の反社会性、反道徳性を有するものであり、(2)ほ脱額も著しく多額でありほ脱率も甚だしく高く、量的にも質的にも極めて悪質であり、(3)執行猶予の期間中、或はこれに準ずる状況下における行為であり、納税制度に対する挑戦的態度が認められるもので、それまでの脱税法にみられなかったような高度の違法性を有し真に社会的非難に値するものであることがうかがわれるのであります。
これらの実刑判決をもって、懲役刑について殆んど執行猶予を付した従前の判決と対比して、殊更に意味があるように考えることは刑事司法の連続性及び従前の科刑との均衡を否定する虞すら考えられるのであります。
(三) 量刑は均衡を保たなければならず、また刑事政策のなかで正当な役割を果すべきものであります。憲法三一条が英米法系の「適正手続 due process」の規定であるところから、刑罰法規に規定された犯罪と刑罰が、規定上も、その具体的適用に際しても均衡が保たれていることも、罪刑法定主義の要求するところと思われるのであります。そのため弁護人も量刑に客観的な基準の必要性を長年痛感しているものでありますが、科学的で有効な量刑基準が示された例はほとんどないようであります。結局量刑の生命である「均衡」或は「公平」は、従前の量刑資料をもって、経験の積み重ねによる自己の量刑感覚の客観化につとめるより他に適当な方法はないように思われるのであります。
弁護人は、そうした観点から資料Ⅰ及至Ⅴを集め、それらを検討し、更に本件の第一審判決と比較し、本件被告人の所為は、果してそれまでの脱税犯にみられなかったような高度の違法性を有し、刑事政策上からも、実刑をもって臨まなければならぬものであるかどうかを考えたのであります。
原審裁判所は、その判決において、本件について懲役刑について「実刑に処するのは已むを得ない」事情について縷々述べているところであり、実刑に処することによって、被告人の責任をきびしく責めると共に強く、一般警戒を与えられた原審裁判所の見解については決して異議を申立てるつもりではありませんが、別紙資料からもうかがわれますように、他の実刑判決と比較する時、脱税の手段方法・ほ脱率・申告率・証拠隠滅工作等にかんがみますとき悪質程度において同一に論ずるのはいさゝか酷に失するのを感じ得ないのであります。
原審判決は、脱税額が「二億八、六〇〇万円余りと極めて高額」であることを犯情の重要な点として指摘しておりますが、そのうち約二億四、〇〇〇万円は所得税に関するものであります。所得税が累進課税であり、その累進構造のため経済成長に伴い、その税負担はわが国の場合税収の所得弾性が極めて高いことは既に述べたところであります。もし被告人の事業がすべて法人によってなされており、同額の法人所得の秘匿であったとしたら遙かにほ脱税額は少額であり、これに基づいてなされる重加算税延滞金等も必然的に少額となり、また刑事々件における量刑もそれにつれて低くなるわけであります。法人税のほ脱と所得税のほ脱との間に課税面ならびに科刑面において大きな不均衡ともいうべき事情が生じているようであります。
また、査察事件として取上げられる殆どすべての法人は、同族会社もしくはこれに近いものであって、国税局調査部の調査対象となっている大企業の場合には新聞紙上で報ずるような十数億円にも及ぶような脱漏があっても査察事件として取上げられた類例が存在しないようであります。査察事件といえば中小企業のみが対象であり、大企業のほ脱事件は比較にならぬくらい大規模のものでも刑事手続に至らないのが実情ではないかと批判される所以であります。なおほ脱事件調査の端緒の多くが、資産の備蓄による預金等の発見によるものであることに鑑みますと、脱税による留保金を濫費して資産の備蓄のないようなものは如何に脱税手段が悪質であり、脱税額が多額であってもほ脱事件調査の対象には浮かび上って来ないわけであり、たとえ浮び上って来てもこのような担税能力のない者に調査の人手をかけるようなことはなされないことも想像されるのであります。
(四) 本件脱税額が「極めて高額である」ことその他の犯情を考える場合、個人企業と法人企業との場合との不均衡の問題は、その範囲において議論として取上げる余地があるのではないかと愚考するものであります。
被告人は、本件犯行後各年度について修正申告し、納める税金については、原審判決当時の未納分についてもすべて納付し、法人組織の移行も完了し、経理体制の改善も実現し、それと共に法人の代表取締役を名実共に辞任して、その責任を明らかにしております。
同時に、被告会社に科せられた罰金についてこれを完納し、後継者は新たな決意を以て「新生島倉商事株式会社」の運営に励んでいるのであります。
以上縷々申し述べました諸般の事情を綜合し、従前のほ脱犯の量刑と比較する場合、被告人に対し実刑判決をもって臨むべきであるとする原審理由にはいさゝか説得力に欠ける憾みを禁じ得ず、かえってそれは従前の量刑と「均衡」を失し「公平」を欠き、結局重きに過ぎ不当であるとの感を深くするのであります。
一般予防、特別予防両面に亘つての刑事政策の目的を達成するため、敢えて長期間の執行猶予をお願いする次第であります。
八 (結び)
被告人は、本件の査察、これに引続く捜査更に原審裁判を通じ、その責任の重大さを骨身にしみて感得しております。納付すべき税金については、取引銀行から借り受ける等金策のうえ漸く完納し、経理事務についても専従社員を補充し、個人事業についても会社に移行し、更に被告人自身も役員の地位を辞任し只管謹慎の生活を続けている次第であります。被告人の妻茂子(大正六・八・九生)も本件について伴侶として深く心痛し、肝障害を惹起し加療中であり、昼間の外出を慎み外部との交通を絶っているような状況であります(疎明資料7)。被告人自身も、肺結核で昭和五二年十月再度発熱、咳嗽の症状を発し、同年十一月より昭和五三年四月迄入院加療の既往歴を有し、現在も定期的観察を受け、本年九月以降軽度の高血圧症を発症し投薬により経過観察中であり、毎日の食事も野菜ジュース等流動食を続けており、生活環境の如何により既往歴の再燃も懸念されるようであります(疎明資料8参照)。
被告人の個人として又被告会社の代表者としての反省悔悟は顕著であり、再犯のおそれは皆無であり、従前の他の同種事例に比し、必ずしも悪質な態様ではなかったとも言うことができると思うのであります。
裁判所におかれては、山村の尋常高等小学校を卒業後いわゆる一家の“口べらし”のため単身上京し、大東亜戦争を中に戦前・戦中・戦後にまたがって国家と運命を共に、ひたすらに働きに働いて来た“大正生れの高令者”である被告人に対し、是非共執行猶予を付されたくお願いする次第であります。なお罰金刑については、上記重加算税等の納付の実情について斟酌の上多少なりとも減額されますならば望外の恩恵と存するところであります。